長門 須佐益田氏館


お城のデータ
所在地 山口県萩市須佐
遺 構 居館、郷校現存門
形 式 居館 築城者: 益田元祥 築城年代: 慶長5年


見 ど こ ろ
( 育英館の門 )
 須佐益田氏館は、笠松山城のある笠松山の東麓に須佐川を天然の堀として築かれている。現在は、歴史民俗資料館の敷地となっている。 国道などにより面積は随分縮小されているが、益田元祥が益田の三宅御土居の建物を移築して建てられた。現在の建物は後世に再建されたものだとか。

 須佐益田氏館の城下町が須佐川に沿って形成され、現在の育英小学校の敷地には、萩の藩校明倫館に倣って益田元道が享保年間に郷校育英館が設けられ、小学校のグランドの片隅に門が現存している。


歴     史
( 萩益田氏屋敷 )
 須佐益田氏館は、慶長5年に益田元祥によって築かれた。益田氏は、石見七尾城を居城として戦国時代は大内氏に属し、大内氏滅亡後は毛利氏に従っていた。

 慶長5年、関ヶ原の合戦後毛利輝元は防長2国へと減封されると益田元祥も毛利氏に従って長門須佐へと移り、毛利氏より12,000石を与えられ、益田氏は永代家老として16代続いて明治に至った。14代親施は、元治元年の禁門の変で長州軍の指揮を執り、長州征討で責任を取って切腹している。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線須佐駅〜バス/中津
 車 : 中国道美祢JCT〜小郡萩道路絵堂IC〜国道490号線〜国道191号線
駐車場: 歴史民俗資料館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
石見益田の領主益田氏が毛利氏に従って長門に移り築いた居館。

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