石見 七尾城


お城のデータ
所在地 島根県益田市七尾町
遺 構 曲輪、土塁、空堀、畝状竪堀、移築現存門
形 式 山城 築城者: 益田兼高 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 七尾城は、益田市の市街地を見下ろす丘陵の尾根上に築かれている。城の大手は、2つの尾根に挟まれた北向きの谷と推定されるが、現在の七尾城へ登城口は、丘陵の西側中腹にある住吉神社まで石段を登り、神社山門脇から尾根筋へと更に登る。

 七尾城は、最も高い本丸を中心に二股に分かれた尾根筋に大小40あまりの曲輪があり、要所には堀切や枡形虎口、畝状竪堀群などを設けて防備を固めている。(もっとも本丸・二の丸と馬釣井付近の曲輪以外は結構荒れている。)

 七尾城の東麓にある医光寺総門は、廃城後に大手門を移築したものだ。大手門にふさわしく、高麗門形式の門で本柱・冠木とも太く豪壮なものだ。


歴     史
 七尾城は、築城年代については諸説有り定かでないが、鎌倉時代に益田兼高あるいは益田兼時によって築かれたと云われ、以後七尾城は益田氏歴代の居城となった。

 戦国時代の弘治2年に益田藤兼は七尾城を修築した。当時、陶晴賢に味方した藤兼は、毛利元就・吉見正頼に攻められ、まさに七尾城を囲まれる戦局にあった。実際には七尾城での戦闘はなく、益田藤兼は吉川元春の勧告により毛利氏に臣従した。

 慶長5年、関ヶ原の合戦後に毛利氏は防長2国へと減封となった。七尾城主益田元祥も毛利氏に従って長門須佐へと移り、七尾城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線益田駅〜バス/本町
 車 : 浜田道浜田IC〜国道9号線/益田栄町〜県道35号線〜県道54号線
駐車場: 住吉神社の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
西石見に一大勢力を誇った益田氏の居城。
  • 七尾城の縄張図(現地案内板より)
  • 七尾城城門の移築先
    医光寺 島根県益田市染羽町

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