備後 尾関山城


お城のデータ
所在地 広島県三次市三次町
遺 構 曲輪、石垣
形 式 丘城 築城者: 上里守光 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 尾関山城は、小高い独立丘尾関山に築かれ、背後に三吉氏の本城比熊山城の登城口を守る出城で、江の川・西城川・馬洗川を天然の堀としている。江戸時代の三吉藩は尾関山城の東方に陣屋を構え、城の北方に下屋敷を設け、本丸には天文所として発蒙閣が建てられていた。 

 城の縄張りは、山頂部に本丸を置き、同円心状に二の丸・三の丸と帯曲輪群を配した縄張りで、現在は尾関山公園となっていて多少の改変があるが、曲輪の配置は容易く見ることができる。

 公園入口には、三吉藩初代浅野長治の三女で、赤穂浪士のゆかりの播磨赤穂藩主浅野長矩の正室となった阿久理姫(瑤泉院)の像が建てられていた。


歴     史
 尾関山城は、戦国時代に上里守光によって築かれた。慶長5年に毛利氏が防長2国に減封となり、安芸・備後の太守となった福島正則の重臣尾関正勝が2万石を領して城主となった。

 寛永9年、安芸広島藩主浅野長晟の長男長治が三次郡・恵蘇郡5万石を分知され尾関山城へ入る。三次浅野家は、長治=長照=長澄=長経=長寔と5代続いたが長寔が8歳で没し、三次藩は断絶となり三次藩領は広島本家に再還付され、以後広島藩の代官支配となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR芸備線三次駅〜バス/尾関山公園
 車 : 中国道三次IC〜国道375号線
駐車場: 尾関山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
浅野内匠頭長矩の正室瑤泉院の実家、三次浅野家の居城。

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