尾張 緒川城


お城のデータ
所在地 愛知県知多郡東浦町緒川字古城
遺 構 移築現存門
形 式 平城 築城者: 水野貞守 築城年代: 文明年間


見 ど こ ろ
 東浦町役場前の細い道を北側に入り、学校給食センターをすぎると、右手の住宅地の中に小高い丘と松の木が見える。ここが主郭の一部で、緒川城趾の石碑と案内板がある小公園となっている。この小公園には、徳川家康の母於大の方生誕の城の石碑も建てられていた。

 緒川城は、縄張り図をみると古城と新城があるが、いずれもこの小公園を中心とした付近の住宅地一帯が城跡そのものでだ。緒川城唯一の建物の遺構が、於大公園西側にある乾坤院の総門として城門が移築され現存している。


歴     史
 緒川城は、文明年間に水野貞守が築いた。戦国から江戸時代にわたって譜代大名の名家、水野氏発祥の城でもある。

 貞守の曾孫水野忠政は、三河刈谷城を攻略して移り、嫡男信元を緒川城主とした。家督を嗣いだ信元は、織田信秀に臣従したため今川方の岡崎城主松平広忠と不和になり、信元の妹於大の方の離縁の原因となった。

 天正3年、水野信元は織田信長から武田氏へ通謀したとの嫌疑から誅殺され、弟忠守が城主となった。その後、慶長6年、関ヶ原の戦功により水野分長が1万石を領した。分長は、慶長11年に三河新城へと転封になり、その後緒川城は正保元年に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR武豊線緒川駅〜徒歩約10分
 車 : 知多半島道路東浦知多IC〜県道23号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
徳川家康の母於大の方生誕のお城。
  • 緒川城の城門移築先
    乾坤院 愛知県知多郡東浦町緒川字沙弥田

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