下野 宇都宮城


お城のデータ
所在地 栃木県宇都宮市本丸町
遺 構 復元櫓、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 宇都宮氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 宇都宮城は、宇都宮大明神と馬場道でつながっていた中世居館が、宇都宮氏の勢力拡大と戦国時代へと時代と共に高い土塁と深い堀、曲輪の拡張・増設により平城ながらも堅固な城へと変貌した城だ。

 本多忠純改易の理由とされた『宇都宮釣り天井事件(俗説)』で有名だが、この正純の大改修で宇都宮城は近世城郭として完成した。

 近世宇都宮城は、東を流れる田川を外堀とし、四重の堀を廻らした本丸・二の丸・三の丸・外郭から構成された輪郭式縄張りの城だ。本丸の高土塁上には5基の櫓、二の丸には3基の櫓が建ち、大手門には角馬出、太鼓門には三日月堀を伴う丸馬出が設けられていた。

 現在では、ほとんどが市街地化され遺構は消滅してしまったが、本丸の一部が残され御本丸公園となっていて、高土塁上には櫓2基(清明台・富士見櫓)が復元されている。


歴     史
 宇都宮城は、築城年代は定かでないが宇都宮氏によって築かれた。 宇都宮氏は、下野一宮宇都宮大明神(二荒山神社)座主藤原宗円・宗綱を祖とする中世下野三大豪族として鎌倉時代から戦国時代まで威をふるった。

 慶長2年、宇都宮国綱が改易となり、蒲生秀行・奥平家昌が城主となり、元和5年には本多正純が下野小山より15万石を領して入封。正純の時代に近世城郭へと大改修された。

 元和8年に本多正純が改易され、以後奥平・松平・本多・奥平・阿部・戸田・松平と譜代大名が目まぐるしく城主が代わった。安永3年に戸田忠寛が肥前島原より77,800石を領して入封して以後、戸田氏が7代に渡ってこの地を領して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線・東北新幹線宇都宮駅〜バス/市役所前
 車 : 北関東道宇都宮上三川IC〜国道4号線
駐車場: 宇都宮市役所・東武宇都宮駅周辺の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
本多忠純改易の理由となった『宇都宮釣り天井事件(俗説)』で有名なお城。

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