伊勢 田丸城


お城のデータ
所在地 三重県度会郡玉城町田丸
遺 構 天守台、曲輪、門、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 北畠信雄 築城年代: 天正3年


見 ど こ ろ
 城下町玉城は小さな町であるが、田丸城は北畠の本城であっただけに、石垣作りのなかなか見応えのする城だ。

 城の周囲をめぐっていた水堀は、各所で埋め立てられているが玉城町役場を挟んで、外堀・内堀が今も良く残っていて、大手門付近の石垣も残る。二の丸は、現在玉城中学の敷地になっている。徳川城代時代にはここに御殿が建てられていたそうだ。

 城山の山頂部は、3つの曲輪が連郭式に配置され、それぞれの曲輪の間には空堀が設けられている。本丸・西の丸の一段したに腰曲輪が設けられている。

 連郭の中心本丸に穴蔵をもつ天守台が残っている。石垣の修復工事が施され、以前訪れた時(10数年前)は、天守台を覆っていた大木も切られ、本来の天守台の姿がそこにあった。

 西の丸枡形の虎口は、高石垣によって堅固に守られている。ちょっと草に覆われ、ここまで訪れる人は少ないようだが、玉城中学のグランドに沿って行くことが出来る。

 田丸城の建物遺構は、田丸城内(中学校校舎北側)に富士見門が移築され、三の丸にある村山龍平記念館裏手に三の丸書院が移築されている。また、城址公園北側にある田丸神社にも蔵が二棟移されいる。

 松坂城からさほど離れていないので、松坂城とセットで訪れてみてはいかがか? あまり観光化されていない田丸城の良さを満喫できると思う。 


歴     史
 田丸城は、南北朝時代の延元元年に北畠親房によって築かれ、南北朝の争乱期には田丸城の争奪戦が繰り広げられた。南北朝統一後は、北畠氏の持城となり、応永年間には愛洲忠行が城主となった。

 天正3年、北畠氏を継いだ織田信長の次男北畠信雄は、田丸直昌を岩出城へ移し、大河内城から田丸城を居城として大修築を行い三層の天守を築いた。しかし、天正8年に田丸城が全焼したため、松ヶ島城を築いて移る。

 天正12年、松坂城に蒲生氏郷が入封すると、田丸城は氏郷の持城となり、氏郷の妹婿田丸直正が入った。氏郷が会津若松城に移ると、田丸氏も陸奥三春城へ移った。

 慶長5年、稲葉道通が45,000石で入り田丸城の大改修をしてた。元和2年に2代教通は摂津中島へ転封となり、大坂の陣の戦功により藤堂高虎に与えられ、加納藤左衛門が城代となった。

 元和5年、田丸城は紀州和歌山徳川頼宣の持城となり、家臣久野宗成が遠江久野城から1万石で田丸に移り、代々田丸城代として明治まで続いた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR参宮線田丸駅〜徒歩約5分
 車 : 伊勢道玉城IC〜県道65号線〜県道13号線〜県道530号線
駐車場: 大手門内の玉城町役場の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
かつては北畠氏の本城として築かれたお城。
  • 田丸城の縄張図(現地案内板より)
  • 田丸城の建物移築先
    城址公園 城門 三重県度会郡玉城町田丸
    村山龍平記念館 書院 三重県度会郡玉城町田丸
    田丸神社 三重県度会郡玉城町田丸
    輪転寺 城門 三重県多気郡明和町明星
    正義寺 城門 三重県伊勢市岡本2丁目

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