三河 高縄城


お城のデータ
所在地 愛知県豊橋市老津町高縄
遺 構 曲輪、土塁
形 式 丘城 築城者: 戸田宗光 築城年代: 文明7年


見 ど こ ろ
 高縄城は、太平寺西側の丘陵の先端部を利用して築かれた城だ。城の縄張りは、資料の絵図によれば、主郭と北から西側へ腰曲輪があり、更に西に一段下がって広い曲輪が設けられていた。

 現在は、主郭部に豊橋市家政高等専修学校が建てられ、学校の正門内に城の標柱が建てられいる。城の遺構は校内にはなく、校舎裏側の畑地を馬蹄形に取り囲むように土塁が見事に残っていた。 


歴     史
 高縄城は、大津城とも呼ばれ、文明7年に戸田宗光が城主となり渥美半島一帯へ勢力を伸ばす拠点となった。その後、宗光は田原城仁連木城を築いて移ったが、田原城防衛の重要な支城であった。

 天文16年、今川氏によって戸田本家が没落するが、その後天正8年に戸田康光の甥忠次(田原戸田氏)が家康より高縄城主となった。天正18年、家康の関東移封に忠次も従って伊豆下田5千石を領して移り、高縄城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 豊橋鉄道渥美線老津駅〜徒歩約10分
 車 : 東名豊川IC〜国道151号線〜国道1号線〜国道259号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
畑地を馬蹄形に取り込むように土塁が残っているお城。

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