因幡 太閤ヶ平 羽柴秀長陣



お城のデータ
所在地 鳥取県鳥取市円護寺
遺 構 曲輪、土塁、横堀、竪堀
形 式 山城(陣城) 築城者: 羽柴秀長 築城年代: 天正9年
鳥取城山下ノ丸 鳥取城山上ノ丸 鳥取城外神砦 太閤ヶ平秀吉本陣

見 ど こ ろ
( 秀長陣の二重竪堀と土塁 )
 久松山の鳥取城(山上ノ丸)を囲む羽柴秀吉率いる2万の軍勢が太閤ヶ平(本陣山)を頂点として陣を構えた。その中でも本陣山から尾根伝いに久松山東坂へと至るルートを押さえたのが羽柴秀長が布陣したと伝えられる陣城だ。

 本陣山から遊歩道を久松山に向けて尾根を進み、最初の分岐点から約500m程降ると左手に秀長陣の二重の竪堀が姿を現す。右手(山手)にも竪堀があり、この竪堀を直登すれば秀長陣だ。内陣は東西に長細い削平地で、東側に虎口が開かれ西側まで低いが土塁の遺構があり秀長陣北側へも竪堀があった。


歴     史
( 秀長陣内と土塁 )
 天正8年、山名豊国が毛利方の調略で家老らにより鳥取城を追放され、毛利方となった家老中村・森下氏は吉川元春に山名氏に代わる守将の派遣を要請する。

 天正9年、吉川元春は一族の福光城主吉川経安の嫡男経家を鳥取城へ城督として派遣すると、羽柴秀吉は2万の大軍を率いて再度鳥取城を包囲して兵糧攻めを行う。100日に及ぶ籠城戦で兵糧の尽きた毛利方は開城し、守将吉川経家は久松山山麓の真教寺にて自刃して果てた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線鳥取駅〜バス/樗谿公園 やまびこ館前
 車 : 鳥取道鳥取IC〜国道29号線〜県道21号線〜国道53号線
駐車場: やまびこ館の第一・第二無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
本陣山から久松山への尾根道を押さえた秀長の陣城。

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