肥前 三城城


お城のデータ
所在地 長崎県大村市三城町
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀
形 式 平山城 築城者: 大村純忠 築城年代: 永禄元年


見 ど こ ろ
( 二の曲輪の全景 )
( 二の曲輪西側の空堀 )
 三城城は、大上戸川と内田川に挟まれた東西に延びる丘陵の先端部を利用して築かれている。丁度、JR大村駅の北側にある小高い丘が三城城趾。

 三城城の縄張りは、本丸の東側に二の丸(ここに説明板が立てられている)、殆ど竹藪となっている三の丸(東端に三城神社の社が建つ)、本丸北側の富松神社境内一帯も三の丸の曲輪群の一つであった。

 現在は、丘陵最高所の本丸跡には長崎県忠霊塔が建てられており、このため本丸には城の遺構は殆ど残っていない。かつて訪れた時にあった城石碑も撤去されていた。本丸・三の丸と二の丸との間には長大な横堀、三の丸三城城神社付近には土塁の遺構が残っていた。


歴     史
( 三の曲輪の土塁 )
 三城城は、永禄元年から7年の歳月をかけて大村純忠によって築かれた。天文19年、肥前日野之江城主有馬晴純の次男純忠が、叔父大村純前の養子となり家督を相続した。純忠の代になり彼杵郡一帯に勢力を拡大して国人領主から戦国大名へと脱皮している。

 元亀3年、親族である武雄城主後藤貴明、平戸城主松浦隆信、諫早城主西郷純堯が共謀して三城城を攻めた。これを僅かの兵で撃退したこの籠城戦を「三城七騎籠」として有名である。この親族との不和による政情不安もあり、慶長3年に純忠の嫡男喜前が玖島城を築いて移り、寛永14年に幕命によって廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR大村線大村駅〜徒歩約10分(富松神社)
 車 : 長崎道大村IC〜国道444号線
駐車場: 富松神社の参詣者駐車場を利用


ひとくち MEMO
「三城七騎籠」の籠城戦の舞台となった大村氏の居城。

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