羽前 尾浦城


お城のデータ
所在地 山形県鶴岡市大山3丁目
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 大宝寺晴時 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
(主郭に鎮座する三吉神社)
( 主郭西側に残る土塁 )
 尾浦城は、高館山から東に伸びる支尾根の先端部太平山(城山)に築かれていて、城跡全体が大山公園として整備されている。

 尾浦城山頂部の縄張りは、三吉神社が鎮座している主郭から北東へ伸びる尾根筋に二の曲輪・三の曲輪が階段状に並び、南東の尾根筋には四の曲輪が配置され、東麓に配置された居館部からの登城路を抑えている。

 主郭背後には大堀切があり、その西側には吉峰神社境内となっている五〜七の曲輪が尾根上に並ぶ。更に西の鞍部に向けて長大な八の曲輪が配された縄張りとなっている。

 最上氏が修築した尾浦城は、山頂部に本丸(中世尾浦城のまま)を置き、東麓(大山祭からくり展示館付近からグランドにかけて)に二の丸を配して、その外側に堀を設け、東側に流れる内川を外堀としてしていた。


歴     史
( 六の曲輪の切岸 )
( 西尾根の八の曲輪 )
 尾浦城は、築城年代は定かではないが大宝寺(武藤)氏によって築かれた。天文元年、大宝寺晴時は居城大宝寺城を砂越氏維によって攻められて焼失し、更に赤川の洪水被害に見舞われたこともあり、尾浦城へと移した。大宝寺氏は、晴時=義増−義氏=義興=義勝(本庄繁長次男)と続く。義氏の代に庄内平定を果たすが、天正11年に最上氏の庄内侵攻により義氏も敗死した。

 天正16年、上杉景勝の家臣村上城主本庄繁長が大宝寺義興の養子となった次男義勝と共に庄内へと攻め込み、最上氏方が支配していた尾浦城・大宝寺城等の諸城を落とした。その後、上杉氏は尾浦城を庄内領統治の拠点としている。

 慶長6年、関ヶ原で西軍に与した上杉景勝は米沢30万石へと減封となり、庄内三郡は山形城主最上義光に加増された。義光は、尾浦城へは下治秀久を入れて城を改修している。元和元年には義光の六男大山光隆が27,000石を分知されて尾浦城へと入ったが、同年の一国一城令により廃城となり、光隆は二の丸の居館を陣屋とした。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線鶴岡駅〜バス/大山公園入口
 車 : 山形道鶴岡IC〜国道7号線〜国道338号線〜県道38号線
駐車場: 大山公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
戦国時代に庄内平定を成した大宝寺氏の居城。

山形県のお城
一覧表へ
トップページへ

北海道・東北のお城
北海道青森県岩手県秋田県宮城県山形県福島県