岩代 向羽黒山城
     (北の曲輪・伝盛氏屋敷)



お城のデータ
所在地 福島県大沼郡会津美里町本郷字船場
遺 構 曲輪、石垣、土塁、竪堀、横堀、堀切
形 式 山城 築城者: 葦名盛氏 築城年代: 永禄4年


見 ど こ ろ
 向羽黒山城の三の曲輪群と「北の曲輪群・伝盛氏屋敷」は、羽黒山との鞍部から西側に設けられている。公園化されている部分もあるが、ブッシュに覆われている曲輪群も多い。

 十日町口大手からくるみ坂を登ると葦名盛氏の屋敷があったと伝えられている曲輪へと至る。伝盛氏屋敷は、土塁と空堀が囲繞し、かつては北の曲輪と橋で繋がっていたとか。

 伝盛氏屋敷の北側の曲輪群は、丸馬出・矢枡形虎口と土塁・空堀の遺構が良く残っている。周囲の家臣団の屋敷となっていた三の曲輪群と共に、山頂の「実の城」、中腹の「中の城」に比べて、更に「平時の城」の要素が強い曲輪群であった。


歴     史
 向羽黒山城は、永禄4年から7年の歳月をかけて葦名盛氏によって築かれた。葦名氏は、文治5年に佐原義連が奥州藤原氏討伐の戦功により会津の地を与えられ、3代光盛が蘆名氏を称し、戦国時代になると16代盛氏の時に全盛期を迎えた。

 盛氏は嫡男盛興に家督を譲り、隠居城としてこの城を築いたが、天正3年に盛興が早世したため再び居城を黒川城(会津若松城)へ移した。

 天正18年に葦名義広が伊達政宗によって滅ぼされ、黒川城に入った政宗は、黒川城より先にこの城の修築を行っている。政宗の後に会津に入った蒲生氏郷、上杉景勝も改修を行っているが、慶長6年に神指城と共に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越西線会津若松駅〜バス/本郷インフォメーションセンター前
 車 : 磐越道会津若松IC〜国道121号線〜県道130号線〜県道128号線
駐車場: 向羽黒山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
向羽黒山城でも「平時の城」の要素が強い曲輪群。

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