武蔵 水野氏陣屋


お城のデータ
所在地 埼玉県大里郡寄居町赤浜字上寺西
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 陣屋 築城者: 水野長勝 築城年代: 天正年間


見 ど こ ろ
( 陣屋南東部の土塁 )
 水野氏陣屋は、現在は昌国寺境内となっていて、おそらく約50m(半丁)四方の方形居館形式の陣屋だ。一部欠けてはいるが、境内を囲繞するように今でも陣屋の土塁が残っていた。

 境内の北側半分は荒れているが、南側南東部は土塁上の樹木が切り払われて折れの部分もよく分かる。また、南西部から西面の土塁も綺麗に残っていて、特に隣接する墓地との間に堀の一部を見ることができた。

歴     史
( 陣屋南西部の土塁 )
 水野氏陣屋は、天正年間に水野長勝によって築かれた。長勝は織田信長に仕えたが、天正10年に本能寺の変で信長が没した後、小田原城主北条氏政に仕えて鉢形城主北条氏邦の配下となり赤浜の地に居館を構えた。

 天正18年、北条氏が滅亡後徳川家康が関東へ移封になった際、長勝は家康に召し出され男衾で800石を与えられ赤浜に居住した。慶長7年、長勝は伏見城城番となり大和国内で加増されて移り、2代忠貞は伏見奉行に任じられている。長勝系の水野氏は6,000石を領する大身旗本として続き、9代貞直の時に明治を迎えている。 


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線男衾駅〜徒歩約10分
 車 : 関越道花園IC〜国道140号線〜県道296号線〜県道81号線
駐車場: なし。(昌国寺境内に駐車可能)


ひとくち MEMO
家康の従兄弟水野長勝の陣屋。

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