備中 経山城



お城のデータ
所在地 岡山県総社市黒尾
遺 構 曲輪、空堀、堀切、石垣
形 式 山城 築城者: 大内義隆 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ

 経山城は、吉備高原の南端に位置する経山山頂部に築かれている。 城跡から北にある古代朝鮮式山城の鬼ノ城や南には吉備総社平野が一望することができる。

 経山城は、山頂部に方形の主郭を置き、西から南側にはLの字状に帯曲輪が二段ある、 この一番外側の曲輪には空堀と土塁の遺構が残り、また主郭南端の切岸部分に石垣の遺構が残存している。

 主郭の東から北側には中曲輪・北曲輪・東帯曲輪が配置され、北曲輪西側と北側にも石垣の遺構がある。 また、北曲輪は、なだらかな尾根筋が続く北面防備のために、土塁の内側には空堀(箱堀)を設けているのが珍しい構造と思えた。


歴     史

 経山城は、天文年間に大内義隆によって築かれた。 天文12年、大内義隆が出雲富田城に尼子経久を攻めた時、備中の諸将も出陣して各城には僅かな留守部隊し残っていなかった。 この機に乗して播磨白旗城主赤松晴政は、麾下の浦上宗景・宇喜多興宗に命じ備中へ侵攻させた。 この時、経山城も赤松勢に囲まれたが、赤松勢が曳いている。

 元亀年間に小早川隆景が経山城を修築し、二階堂氏行・中島元行らを城代とした。 元亀2年、尼子晴久に攻められたが、城代中島元行は、尼子勢に夜襲を仕掛けて勝利している。 

 天正10年、備中高松城攻防戦の毛利・羽柴氏の和睦により、この地は宇喜多氏の所領となり延原土佐守に与えられた後に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR吉備線服部駅〜徒歩(登城口/砂川公園)約15分
 車 : 岡山道岡山総社IC〜国道180号線〜県道271号線〜市道
駐車場: なし。(登城口道しるべ前に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
毛利氏が自勢力範囲の東辺の拠点の城として重視していた・・・。
  • 経山城の登城口
    経山城の登城口は、砂川公園から鬼ノ城へと通じる登山道(舗装1車線)を登る。 鬼ノ城駐車場の手前で唯一民家があるが、この民家から約20m程登山道を下った所に車の対向待避所があり、ここに経山城への道標の石碑がある。 ここから山道を5分ほど登ると鞍部に出る。 ここにも道標がある。 道標に従って更に約10分尾根筋を登を経山城北端に着き、ここに経山城の標柱が立てられている。

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