備中 高松城


お城のデータ
所在地 岡山県岡山市北区高松
遺 構 曲輪、堀、水攻め築堤跡
形 式 平城 築城者: 石川久式 築城年代: 永禄末年


見 ど こ ろ
 昔は、城を取り囲む沼であった所は、今では水田と住宅地にとなり、本丸部分を囲むように沼の名残の堀とが残っている。城址公園として本丸以下二の丸等の部分が整備されているが、本丸以外どこまで城の曲輪跡か良くわからない。本丸には、清水宗治の辞世の句を刻んだ歌碑と首塚がある。

 高松城水攻めなど結構詳しい資料が、同公園内にある資料館に展示されており、係りの方が丁寧に説明をしてくれるのが嬉しい。 ちょっと付け加えると、秀吉は紀伊太田城武蔵忍城でも水攻めを行っているが、最初に水攻めを行ったのが備中高松城だ。備中高松城駅近くには、水攻めの時に築かれた堤「蛙ヶ鼻築堤跡」がある。


歴     史
 永禄末年に備中松山城主三村氏の重臣石川久式によって、備前との境目の城として築城された。

 天正3年に三村氏滅亡後、毛利氏に属した清水宗治が城主となる。天正10年には、羽柴秀吉による有名な高松城水攻めが行われ、宗治は羽柴・毛利双方の和議の証として自刃する。

 その後、高松城には岡山城主宇喜多秀家の領する所となり、家臣花房正成が入城。関ヶ原以後は、徳川家康の旗本となっていた花房職之が8,000石で居城した。高松城を廃城後は、本丸に陣屋を構え、代々この地を領して14代職榑の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR吉備線備中高松駅〜徒歩約10分
 車 : 岡山道岡山総社IC〜国道180号線
駐車場: 城趾公園の無料駐車場2ヶ所あり。(50台程度)


ひとくち MEMO
羽柴秀吉による有名な高松城水攻めの舞台。

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