豊後 玖珠城


お城のデータ
所在地 大分県玖珠郡玖珠町伐採山
遺 構 曲輪、土塁、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
( 第3の土塁 )
( 第2の土塁 )
 玖珠城は、比高355mの台地火山地形で切株に似ていることから伐株山と呼ばれている切り立った岩山に築かれてる。山頂の城跡一帯は公園化されていて山頂からは眼下に玖珠盆地を一望することができる。北麓から登山道もあるが、南側の尾根筋から山頂まで舗装道が整備され車で登ることができるのも嬉しい。

 玖珠城の縄張りは、南の万年山から派生する尾根筋を堀切で断ち切り、最高所に建つ通信施設のある曲輪から北に向けて尾根筋に階段式に曲輪が並んでいる。更に山頂部の北半分(駐車場付近から)には方形の土塁に囲繞された曲輪が5ヶ所あり、「第2土塁」と呼ばれる曲輪の外側には畝状竪堀の遺構を見ることができる。また、通信設備へと駐車場から登る道の右手には横堀の遺構もあった。

 山頂部の土塁囲みの方形曲輪は、尾根上に分散されるように配置されているのが特徴だ。これは連郭式に曲輪が並ぶ南尾根筋と異なり、同等規模の氏族連合である玖珠郡衆の陣城と考えられている。


歴     史
( 第5の土塁 )
 伐採山には鎌倉時代に創建された山岳寺院の高勝寺があり、南北朝の動乱時には南朝方の九州最大の拠点「高勝寺之城」となっていた。建武3年には北朝方の一色頼行が、高勝寺僧徒・大蔵永貞ら日田勢など南朝方の籠もる城を攻め落としている。

 戦国時代になると大友氏は豊後への侵攻を防ぐため交通の要衝であった玖珠盆地防衛強化のため城の改修を行っている。天正14年、島津氏は久住方面から玖珠郡に侵攻し中島美濃守ら玖珠群衆の立て籠もる玖珠城を包囲した。しかし、要害堅固な城を攻めあぐねた寄せ手の伊集院忠棟は城への兵糧の道を断ち、南の尾根筋を守っていた山田伝九郎の内応により城は落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR久大本線豊後森駅〜タクシー/約20分
 車 : 大分道玖珠IC〜国道387号線〜国道210号線〜町道
駐車場: 玖珠城(伐採山城)の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
巨大な切株の上にあるお城。

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