加賀 小松城


お城のデータ
所在地 石川県小松市丸の内町
遺 構 曲輪、天守台、石垣、移築門
形 式 平城 築城者: 若林長門 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 現在の小松城は、市役所・公民館・公園などになり、城の遺構は市内にはあまり残っていない。小松高校が、本丸・二の丸跡に建てられ、グランド西側の一角に天守台と内堀跡の僅かな石垣が残っている。

 この天守台は、築城技術がピークに達した時期に築かれただけに、精巧に積まれた石垣は見応えがある。この天守台上には楼閣風の御三階櫓が建てられていた。また、建物の遺構としては市内の来正寺に二の丸鰻橋門(長屋門)が移築されて現存し、稚松小学校の正門脇に常磐門が移築されている。


歴     史
( 鰻 橋 門 )
( 常 磐 門 )
 小松城は、天正年間に若林長門によって築かれた。林長門は、一向一揆の武将で元本願寺家臣であった。天正7年、柴田勝家に攻められて落城。織田信長は村上頼勝を城主とし加賀能美郡66,000石を与えた。

 慶長3年、頼勝は越後村上に移され、松任城主丹羽長重が12万石を領して入城する。慶長5年、関ヶ原で西軍に与した長重は、金沢城主前田利長と浅井畷で合戦したが敗退、戦後長重は所領没収となった。長重の所領は前田利長に与えられ、前田長種・直知・直正・孝貞と前田一門の年寄衆が小松城代を務めた。

 寛永16年、前田利常が隠居する際、小松城を隠居所とし隠居領22万石を隠居料として分与することが幕府から承認された。

 利常は、二の丸・三の丸を増築し、新たに石垣が組まれるなど大改修を行った。利常は小松城で19年間隠居生活を送り万治元年に没した後、小松城代・小松城番が置かれ明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線小松駅〜バス/小松高校前
 車 : 北陸道小松IC〜県道25号線〜国道360号線
駐車場: なし。(道幅が狭いので、路上駐車には要注意)


ひとくち MEMO
前田利常の隠居城で楼閣風の天守があったお城。
  • 小松城城門移築先
    鰻橋門 来正寺 石川県小松市園町
    常磐門 稚松小学校 石川県小松市殿町

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