越前 北の庄城


お城のデータ
所在地 福井県福井市中央1丁目
遺 構 石垣、堀
形 式 平城 築城者: 柴田勝家 築城年代: 天正3年


見 ど こ ろ
( 北の庄城堀跡と福井城の石垣 )
 北の庄城は、福井城築城により完全に消滅している。福井駅側にある柴田神社の境内が本丸天守跡と言われ、柴田勝家とお市の方の銅像が建てられている。

 柴田神社一帯は、福井城の三の丸南曲輪の鳩の門と日向門付近に辺り、福井城石垣や百間堀などの堀跡の遺構が残っているが、発掘調査により福井城の下層に南北に伸びる幅約25m程の北の庄城の堀が出土し、また、上部の石垣を取り払われた北の庄城石垣の根石が保存されていた。


歴     史
( 北の庄城石垣の根石 )
 北の庄の地には、黒丸城主朝倉貞景の次男頼景が居館を築いて以来、天正元年の一乗谷の朝倉義景滅亡と同じくして北の庄朝倉氏も断絶した。

 天正3年、越前一向一揆を平定した織田信長は、柴田勝家に越前8郡49万石を与え、越後の上杉謙信に対峙させた。勝家は、入封早々から北の庄城を築城した。しかし、僅か9年後の天正11年、賤ヶ岳の合戦に敗れ北の庄城も落城、勝家はお市の方共々自刃して果てた。

 慶長5年、結城秀康が越前国主として下総結城より入封、新城(福井城)を築城して北の庄城は消滅した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線福井駅〜徒歩10分
 車 : 北陸道福井IC〜国道158号線/西方〜県道
駐車場: なし。(福井駅周辺の有料駐車場を利用。)


ひとくち MEMO
柴田勝家と戦国の美女お市の方の居城。
  • 柴田神社への行き方
    JR福井駅前広場の左手の道を約200mほど進むと広い道路に出る。ここを右に曲がり約100m、右手に柴田神社がある。

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