羽後 亀ヶ崎城


お城のデータ
所在地 山形県酒田市亀ヶ崎1丁目
遺 構 曲輪、土塁
形 式 平城 築城者: 大宝寺氏 築城年代: 文明10年


見 ど こ ろ
( 来客用駐車場南側の土塁 )
 亀ヶ崎城は、最上川と新井田川の合流点に隣接して築かれている。西側を流れる最上川の流路は現在では約600mほど離れているが、往時は城の南から西側を流れていたとか。

 亀ヶ崎城は、現在の酒田東高校の敷地となっている一帯が本丸と二の丸であった。ここを中心に輪郭式に三の丸が配置され、更に南側と北側に総構えを配置した堅固な縄張りとなっていた。しかし、現在では市街地化されて堀は埋められ、辛うじて高校の北側に二の丸の土塁が残っている。また、市外の円通寺には搦手門が移築され現存している。


歴     史
( 弓道場脇の土塁 )
( 円通寺山門 )
 亀ヶ崎城は、東禅寺城とも呼ばれ文明10年に大宝寺(武藤)氏によって築かれたと云われている。応仁の乱以後に武藤氏一族の砂越氏が離反し、飽海郡を支配下に置くようになる。これに対抗する為に東禅寺城が築かれた。
 
 天正11年、尾浦城主大宝寺義氏は家臣前森蔵人の謀反により敗死すると、前森蔵人は東禅寺城に入り東禅寺義長を称し、天正15年には最上義光と共に義氏の跡を継いだ弟の大宝寺義興を攻め滅ぼした。しかし、天正16年に越後上杉氏が庄内に侵攻して最上・東禅寺氏を庄内より駆逐し、東禅寺城へは本庄・川村・甘粕・志田氏が続いて城代を務めた。

 その後、元和8年に最上氏改易後に信濃松代より酒井忠勝が鶴岡へ入ると、叔父松平久恒が城代として入った。亀ヶ崎城は一国一城令の例外として存続が認められ、江戸時代を通じて城代が置かれた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線酒田駅〜バス/酒田上本町
 車 : 日本海東北道酒田中央IC〜国道47号線〜国道7号線〜県道353号線
駐車場: 横道町自治会館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
北前船の寄港地酒田湊を抑えたお城。
  • 亀ヶ崎城の縄張図(現地案内板より)
  • 亀ヶ崎城の城門移築先
    円通寺  山形県酒田市吉田伊勢塚

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