磐城 船引城


お城のデータ
所在地 福島県田村市船引町船引字館
遺 構 曲輪
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 船引城は、船引市街を見下ろす館山に築かれた城だ。館山自体は小高い丘に過ぎないが、城跡に立つと眼下に大滝根川に沿って東西に走る都路街道を押さえる要衝の地に築かれていることがよく分かる。

 城は、現在館山公園として整備されているため、何処まで城の遺構であったか分かりづらくなっているが、最高所に主郭を置き東西の尾根筋に向けて二の曲輪・三の曲輪が配置された縄張りとなっている。

 また、城の遺構は、公園化の時に消滅したかどうか分からないが、曲輪の切岸以外土塁などは見ることができなかった。


歴     史
 船引城は、築城年代や築城者については定かではないが、文明19年頃には船引朝国の居城であった。天正年間の初頭に三春城主田村清顕が田村郡・安達郡東部まで勢力を伸ばすと、船引城は田村領の中央に位置する城として重要な役目を果たした。 

 天正14年、田村清顕が死去すると跡目相続で田村家臣団は伊達派と相馬派に分裂。天正16年、三春入城を企てた相馬義胤は、伊達派の攻撃を受け船引城まで退き、更に伊達政宗の船引城攻めの前には本領相馬へと撤退した。三春城へ入った伊達政宗は、田村清顕夫人(政宗の正室愛姫の母)を三春城から船引城へと移し、田村領を実質伊達領へ組み込んだ。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越東線船引駅〜バス/中町
 車 : 磐越道船引三春IC〜国道288号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
田村清顕夫人が政宗に三春を追われ移り住んだお城。

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