羽後 新田目城


お城のデータ
所在地 山形県酒田市本楯字新田目
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 須藤氏 築城年代: 平安時代


見 ど こ ろ
( 大物忌神社北側の土塁 )
 新田目城は、本楯地区の中央部に築かれた平城で、大物忌神社境内と西側にある酒田北部農民センター(コミュニティーセンター)となっている一帯に築かれていた。
神社境内とコミュニティーセンターが主郭で、東側の正伝寺・梵照寺境内となっている一帯が二の曲輪であった。

 現在も大物忌神社の北側から東側にかけて土塁が残り、北側には堀が残っている。また、コミュニティーセンター敷地の南側(元本楯小学校跡地)にも土塁の一部が残っていた。


歴     史
( コミュニティーセンターの土塁 )
 新田目城は、平安時代後期の寛治年間に源義家より出羽留守所職に任じられた須藤某(須藤助清?)によって築かれた。須藤氏はその後留守氏とも称され、南北朝時代の応永16年頃に没落するが、永享年間頃には勢力を回復したようだが、それ以後のことは定かでない。

 戦国時代になると庄内平野一円に戦火が広がると、新田目城は重要拠点の一城となり、新田目城の城主は幾度も替わったようで、天文年間には宮内館から丸岡民部大輔が移ってきた。その後、新田目城は、元和元年の一国一城令で廃城となったとされている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線本楯駅〜徒歩約10分
 車 : 日本海東北道酒田みなとIC〜県道59号線〜県道60号線
駐車場: 酒田本楯コミュニティセンターの無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
出羽国府の留守所職の居館として築かれたことに始まるお城。

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