肥後 栖本城


お城のデータ
所在地 熊本県天草市栖本町湯船原字本丸
遺 構 曲輪、堀切
形 式 山城 築城者: 栖本氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 城石碑と説明板 )
 栖本城は、栖本漁港の北側に栖本湾に向かって東西に伸びる半島状の丘陵先端部を利用して築かれている。

 縄張りは、現在公園となっている主郭と一段下に細長く配水設備がある二の曲輪が置かれ、更に東へと続く尾根筋には堀切を設けて城域を確保している。出荷の西側にある円性寺境内も曲輪の一つであったと考えられ、唐津の寺沢氏時代には郡代官所が置かれていた。


歴     史
( 本丸に建つ戦没者記念碑 )
 栖本城は、築城年代は定かでないが栖本氏によって築かれた。栖本氏は、菊池氏の庶流と云われ天草上島の栖本を拠点に勢力を伸ばし、天草五人衆の一家に数えられている。

 天正15年、栖本親高は豊臣秀吉による九州平定の際に秀吉に臣従して本領安堵されている。天正17年に小西行長の与力となった天草五人衆は、行長の宇土城普請手伝いを拒否して天正天草合戦となった。行長と援軍の加藤清正に敗れた栖本親高は、降伏して小西氏の家臣に組み込まれた。尚、親高は文禄の役には小西行長に従い朝鮮へ出陣したが、文禄元年の肥後佐敷で起きた梅北の乱で討死している。


お城へのアクセス
鉄 道: 熊本桜町BT〜本渡BT〜バス/天草病院入口
 車 : 九州道松橋IC〜国道266号線
駐車場: なし(主郭の公園に駐車可能)


ひとくち MEMO
天草五人衆の一家栖本氏の本城。

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