遠江 横地城



お城のデータ
所在地 静岡県菊川市東横地字奥横地
遺 構 曲輪、土塁、空堀、井戸
形 式 山城 築城者: 横地氏 築城年代: 室町時代初期


見 ど こ ろ
 横地城は、東の城(本丸)・中の城・西の城(二の丸)と三つの城が山の尾根に沿って築かれた城だ。それぞれの城の規模はさほど広くはないが、尾根の両側の深い谷と「一騎駆け」と呼ばれる細い土橋などによって守られ、なかなか堅固な城といえる。現在、城跡全体が県立自然公園として、千畳敷(城主の居館跡か?)を中心に整備されている。

 城の遺構として、東の城は、山頂部が二段に分かれていて、上段の曲輪の東から西にかけて低いが土塁跡が残る。北側に井戸曲輪、堀切を隔てて北に曲輪群が連なっている。 

 中の城は、2つの曲輪からなり、南側に土塁が良く残っている。横地神社のある所が、西の城一の曲輪で参道の石段脇に空堀と土塁が残っていた。また、駐車場から麓の登城口に至る農道に沿って、武家屋敷跡・城主居館跡などがあるが、何れも雑木林と茶畑となっている。


歴     史
 横地城は、横地氏によって室町時代初期に築かれた。横地氏は、源義家の庶長子家永が初代で、以後文明8年まで14代の長きに渡って、この地方に勢力を誇った。その横地氏本貫の地、本城である。

 文明8年、遠江へ侵攻した今川義忠に対して、遠江守護斯義廉に与した横地秀国は、勝間田修理亮と連合して今川義忠と戦う。この戦いによって、まず勝間田城が落城。余勢をかった今川義忠は、横地城を攻めて落城させた。この時城主横地秀国も討死にして横地氏は滅亡した。

 尚、横地元国(秀国の子)は、後3代に渡って武田氏に仕え、武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、旗本として明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線菊川駅〜静鉄バス
 車 : 東名高速菊川IC〜県道37号線〜町道
駐車場: 県立自然公園の無料駐車場(約20台程度)利用。


ひとくち MEMO
三つの城が山の尾根筋に並んで築かれた一城別郭のお城。

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