山城 淀 城


お城のデータ
所在地 京都府京都市伏見区淀本町
遺 構 天守台、石垣、曲輪、堀
形 式 平城 築城者: 松平定綱 築城年代: 元和9年


見 ど こ ろ
 京阪淀駅のプラットホームの目と鼻の先に天守台の石垣が見える。本丸南側の堀が今はプラットホームなのだ。現在の城跡は、本丸部分と西・南部分の堀が残っている。天守台の穴蔵入り口には柵があり鍵がかけられているが、本丸周囲の櫓台には登ることができる。

 丹波櫓・西口門跡も比較的残っていて、ここから一旦場外に出て南側へ堀に沿って南側み回る。南側が月極の駐車場になっているので遮蔽物が無く、見る淀城本丸がここから堀越しによく見ることが出来る。 


歴     史
 淀城は3つ存在した。中世淀城(古淀城)は、管領細川政元が築城した。次ぎに豊臣秀吉が天正17年、細川氏の淀城を改修し、愛妾茶々がここに居住した。このため、茶々は『淀の方(淀君)』と呼ばれることになる。

 慶長19年に豊臣氏が大坂夏の陣で滅ぶと、徳川幕府は伏見城を廃し、元和9年に松平定綱を遠江掛川から移して、近世淀城を築城させた。 

 この時、伏見城天守(元は大和郡山城天守とも云われている)を移築する予定で天守台を築いたが、実際にはひとまわり小さい家康が慶長6年に築いた二条城天守が移築された。

 寛永10年、松平定綱が美濃大垣に移封した後、永井・石川・戸田・松平(大給)氏と城主は替わり、享保8年に稲葉正知が下総佐倉から102,000石で入城して、明治まで代々京都の守護の任に当たった。 


お城へのアクセス
鉄 道: 京阪電車京阪本線淀駅〜徒歩すぐ
 車 : 名神高速京都南IC〜国道1号線〜府道13号線
駐車場: なし。 路上駐車しかないが周辺の道路は比較的狭いので注意要。


ひとくち MEMO
駅のプラットホームから天守台が見えるお城。

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