肥後 内牧城


お城のデータ
所在地 熊本県阿蘇市内牧字中町
遺 構 曲輪、石垣、堀、移築門
形 式 平城 築城者: 阿蘇氏 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
( 二の丸跡の石垣 )
( 明行寺の山門 )
 内牧城は、内牧城は、内牧市街地の中心部に位置し古川と南を流れる黒川を自然の堀として築かれている。古川は東から西へとS字状に蛇行するが、この蛇行をうまく利用して東から三の丸・二の丸・本丸と曲輪が配された縄張りとなっていた。

 現在は本丸には市立体育館の敷地となり、二の丸と三の丸の一部が公園となっている。また、細川氏時代の内牧御茶屋が本丸に置かれていた。

 城の遺構は、公園内には二の丸の石垣の石垣が一部残り、公園近くにある明行寺と浄信寺の山門は内牧城の移築門と伝えられている。


歴     史
( 浄信寺の山門 )
 内牧城は、天文年間に阿蘇氏によって築かれ、家臣辺春盛が城主となったと伝えられている。阿蘇氏は、豊後大友氏と薩摩島津氏に対する備えとして内牧城を築いた。しかし、天正14年の薩摩島津義久の阿蘇侵攻により落城し、城主辺春盛道も自刃した。

 天正16年、加藤清正が秀吉から肥後半国を与えられて熊本城へ入ると、内牧城には重臣加藤可重が城代として入り、ついで可重の子正方、正方が八代へ移った後は加藤正直が城代となり、元和2年の一国一城令により廃城となった。廃城後は、細川氏により内牧御茶屋が置かれた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR豊肥本線内牧駅〜バス/阿蘇☆ピバ前
 車 : 九州道IC〜国道57号線〜国道212号線
駐車場: 阿蘇市立体育館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
阿蘇氏が築き加藤氏が近世城郭へと変貌させたお城。
 
  • 内牧城門の移築先
    明行寺 熊本県阿蘇市小里157
    浄信寺 熊本県阿蘇市内牧166

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