摂津 塚口城


お城のデータ
所在地 兵庫県尼崎市塚口本町1丁目
遺 構 土塁、堀跡
形 式 平城 築城者: 一揆衆 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
( 清水町門跡の祠 )
 塚口城は、塚口御坊(一向宗興正寺派塚口別院)を中心として形成された寺内町が城郭化され、荒木村重の謀反時に荒木・織田勢が「城」として活用した。

 塚口城は、塚口御坊の跡を引き継いだ正玄寺境内を中心とした東西120間×南北145間の規模があり、土塁と水堀が囲繞した総構えで、北門・清水町門・東門・南門の4つの虎口が設けられていた。

 総構えの土塁や堀は時代と共に消滅してしまったが、東門と清水町門跡の土塁上に祠が祀られ、また用水路となっているが東門から清水町門跡迄の堀が今も残っていた。


歴     史
( 東門跡の祠 )
 塚口御坊は、応永16年に性曇上人によって建てられたと伝えられている。応仁2年の応仁の乱の際には広根の最徳寺、多田の光遍寺、箕輪の超光寺などの塚口御坊の末寺が御坊の警固したと云われ、塚口御坊が摂津川辺郡・豊島郡・能勢郡の末寺・道場などで組織した一向一揆の中心となっていた。

 天正6年、荒木村重が織田信長に叛旗を翻した際に塚口寺内を有岡城の出城となったが、短期間で荒木勢は有岡城へ引き揚げ、代わって丹羽長秀・蜂屋頼隆・蒲生氏郷らの織田勢が布陣した。


お城へのアクセス
鉄 道: 阪急電鉄神戸線塚口〜徒歩約10分
 車 : 名神高速尼崎IC〜県道13号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
有岡城攻防戦に陣城として利用された一向宗の寺内町。

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