信濃 知久平城


お城のデータ
所在地 長野県飯田市下久堅字知久平
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 平山城 築城者: 知久氏 築城年代: 鎌倉時代初期


見 ど こ ろ
 知久城は、段丘の端部を利用して築かれた平山城で、城域は現在の知久平地区の大半を占める。

 下久堅小学校のグランドに沿って北に進むと下久堅保育園があり、ここに縄張り図付きの案内板がある。本丸へは保育園からそのまま北へ直進して坂を下った所に道しるべがあった。

 知久平城の縄張りは、本丸を中心に複数の曲輪が配置され、空堀や土塁等が各所に残存している。本丸天守台と云われている土盛りがあり、幼稚園西側に土塁が残っている。 


歴     史
 知久平城は、鎌倉時代初期に知久氏によって築城された。知久氏は、諏訪氏分流の大祝氏からわかれた神族と言われ、当初上之平城(上伊那郡箕輪町)を居城としていたが、承久の変の軍功により、伴野庄知久平(現飯田市下久堅)の地頭となり、この地に受け居を構えた。

 室町時代に知久氏は、居城を神之峰城への移し、知久平城は出城となった。天正10年に武田氏が滅亡すると、この地は徳川家支配地となり菅沼定利の居城となった。天正11・12年に知久城は再整備されたが、天正18年に菅沼氏が上州吉井への所替なり廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線飯田駅〜バス/知久平
 車 : 中央道飯田IC〜国道153号線〜国道256号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
住宅地とリンゴ果樹園となっているが、所々に城の姿が残るお城。

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