筑後 赤司城


お城のデータ
所在地 福岡県三井郡北野町赤司
遺 構 土塁、堀
形 式 平城 築城者: 赤司氏 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 赤司城は、赤司地区の中程にある赤司八幡神社の西側にある赤司運動公園と納骨堂がある一帯にあった。赤司城の案内板は、運動公園側ではなく八幡神社境内にあった。城の遺構は、資料によれば「土塁や堀が一部残っている」とあったので、周囲を探索してみるがよくわからなかった。


歴     史
 赤司城は、鎌倉時代に赤司氏によって築かれた。戦国時代、大友氏・赤司氏・筑紫氏・秋月氏等による争奪戦が繰り広げられ、大友氏支配のおりにはが立花道雪が居城した。その後、秋月氏の支配下となり、天正15年の秀吉による九州平定に際しては秋月種実が赤司城を開渡して帰順した。

 慶長6年、関ヶ原の戦功により筑後柳川に入った田中吉政は弟清政を城主にした。清政時代に赤司城は修築されたが、田中氏改易後の元和7年、有馬豊氏が久留米城主になると、一国一城の令により赤司城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 西鉄甘木線大城駅〜徒歩約15分
 車 : 九州道久留米IC〜県道53号線〜県道81号線〜県道740号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
大友・赤司・筑紫・秋月氏による争奪戦が行われたお城。

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