羽前 丸岡城


お城のデータ
所在地 山形県鶴岡市丸岡字町の内
遺 構 曲輪、土塁、堀、泉水跡、水路
形 式 平城 築城者: 丸岡義興 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
( 北東隅の土塁 )
 丸岡城は、東に内川、西に青竜寺川が流れて天然の外堀とし、四方を堀と土塁が囲繞した主郭を置き、南に隣接した廃城となった備前館を副郭とした縄張りとなっている。

 現在は丸岡城史跡公園として整備され、主郭の北側には土塁と堀の遺構が残っている。廃城後に庄内へと配流された加藤忠広の館となった時に構築された住居跡・泉水跡・水路跡・石畳の通路の遺構が復元整備されていた。


歴     史
( 泉 水 跡 )
( 水路の遺構 )
 丸岡城は、築城年代や築城者については定かでないが、室町時代から戦国時代にかけて大宝寺城の重要な支城となっていた。

 戦国時代には大宝寺義興がを丸岡城主となり丸岡義興と称しているが、天正11年に義氏の跡を継いで大宝寺城へと移っている。しかし、天正15年に義興は東禅寺義長と最上義光の援軍と戦い敗死している。その後、庄内の地は天正19年には上杉景勝の所領となり、慶長5年の関ヶ原後には山形城主最上義光の所領となる。元和元年の一国一城令により廃城となった。

 元和8年に最上義俊が改易となり、庄内へは酒井忠勝が信濃松代から移った。入封して10年後の寛永9年、肥後熊本の加藤忠広が改易となり堪忍料1万石を与えられて酒井忠勝に預けられた。酒井家は廃城となった丸岡城に忠広の居館を新築した。加藤忠広は丸岡館にて承応2年に52歳で没している。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線鶴岡駅〜バス/協立リハビリ病院
 車 : 山形道鶴岡IC〜県道47号線〜国道112号線
駐車場: 丸岡城趾史跡公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
肥後の太守加藤忠広が改易後に居住したお城。

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