越後 下倉城


お城のデータ
所在地 新潟県魚沼市下倉字滝沢
遺 構 曲輪、土塁、堀切、井戸
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 越後の関ヶ原の戦い「上杉遺民一揆」が立て籠もり、東軍の堀氏との激戦を繰り広げた舞台となった下倉城は、魚野川と破間川の合流点を見下ろす要衝権現山に築かれている。

 城の縄張りは、北側の丘陵へ続く背後の尾根を大堀切で遮断して、権現山山頂部に「天上之台」、南に一段下の広い曲輪が「実城之平」と呼ばれる本丸を置き、南麓へと連なる尾根筋に向けて階段状に二の丸・三の丸がある。更に東側斜面にも「遠見之平」と呼ばれる曲輪を頂点として、小曲輪が階段状に幾段も配されていて、さほど規模的には大きくはないが、見応えのある一城であった。


歴     史
 下倉城は、築城年代や築城者は定かでないが、南北朝時代には築かれいてたと推定されている。

 戦国時代の天文2年に起こった上条の乱では、城主福王子孝重が守護代長尾為景方に与して下倉城に籠城している。天正6年の御館の乱では、上杉景勝方の佐藤秀信が景虎方の本庄秀綱らに攻められたがこれを撃退している。

 慶長3年、上杉景勝の会津若松移封後に越後に入った堀秀政の家臣小倉政煕が城代として入り8千石を領した。慶長5年の関ヶ原の戦いの前哨戦となる上杉遺民一揆が起き、一揆軍により下倉城は攻められ落城し政煕が討死したが、坂戸城主堀直竒により攻められ一揆は鎮圧され慶長年間に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越線小出駅〜バス/下倉口
 車 : 関越道堀之内IC〜県道23号線〜国道17号線
駐車場: なし。(城跡碑前に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
越後の関ヶ原の戦い「上杉遺民一揆」の舞台となったお城。

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