対馬 桟原城



お城のデータ
所在地 長崎県対馬市厳原町桟原
遺 構 曲輪、石垣、移築門
形 式 平山城 築城者: 宗 義真 築城年代: 延宝6年


見 ど こ ろ
( 南面の石垣 )
( 家老屋敷の石垣 )
 桟原城は、府中(厳原)最奥部の桟原の丘に築かれている。背後の振袖山から後山まで続く丘陵を築城時に振袖山裾を堀切って阿須川を阿須浦へと流して城下の治水と防衛ラインとしている。

 桟原城の縄張りは居館形式の城と云え、当時も「御屋形」と家中では呼ばれていたようだ。城跡は現在自衛隊駐屯地の敷地となっていて内部の見学は出来ないが、駐屯地南側から西側にかけて城の石垣が良く残っている。

 朝鮮通信使に対して「見せる城」として築かれた面もあり、城の南面から西面の石垣だけでなく、船着き場から大手口までの馬場筋には移転再建された府中城下を貫き、石垣と土塀に囲まれた武家屋敷の家並みも「見せる城下」であった。

 今も対馬藩家老氏江氏屋敷付近の武家屋敷にその名残があり、家老屋敷長屋門や藩校日新館の門など見どころが多い。また、入江氏屋敷の対面に市立幼稚園に桟原城の高麗門が移築復元されていた。


歴     史
( 移築された復元された高麗門 )
 桟原城は、延宝6年に宗義真によって築かれた。宗氏は15代将盛以後代々金石城を居城にしていた。万治2年に府中で1,718戸も焼失するの大火があり、当時藩主22代(対馬藩3代目)義真は翌3年に新しい町割りと新城の建設を発令し、18年の歳月を費やして完成した。

 また、朝鮮通信使の来朝に際して金石城が西の浜船着場から近すぎて行列が整わず威容が示せないため、最奥部の桟敷の丘に館を移した。


お城へのアクセス
鉄 道: 厳原港(厳原)〜バス/税務署前
 車 : 厳原港〜国道382号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
江戸時代に対馬藩の藩庁となったお城。
  • 桟原城城門の移築先
    対馬市立幼稚園 長崎県対馬市厳原町日吉

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