日向 佐土原城


お城のデータ
所在地 宮崎県宮崎市佐土原町上田島字追手
遺 構 復元御殿、曲輪、土塁、空堀、堀切
形 式 山城 築城者: 田島休助 築城年代: 建武年間


見 ど こ ろ
 佐土原城は、明治に広瀬陣屋へ移る際に堀も埋められ水田・畑となっていたが、現在発掘調査の結果、二の丸御殿跡に御殿を一部復元した「鶴松館」が建てられている。

 江戸時代に初期に山頂部の曲輪群は廃城となっているが、下草が伸びている以外、史跡公園として整備されている。本丸をはじめ5つの曲輪が階段的に配置された山城の縄張りで、最盛期には三層の天守があったことが発掘調査によって判っている。


歴     史
 佐土原城は、建武年間に伊東氏の一族田島休助によって築かれた。その後、日向国の大半を制した伊東義祐の隠居城となり、義祐によって城の規模も拡大された。

 天正5年、伊東氏は島津義久に敗れ豊後に逃れた後、義久の実弟島津家久が城主となった。天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後も家久が城主となることになったが、豊臣秀長が家久を恐れて密かに毒殺されたと云われている。

 慶長5年、島津豊久(家久の子)が関ヶ原の合戦で戦死して一時天領となったが、慶長8年に島津以久が3万石を領して入封、以後明治まで領した。寛永14年、4代忠高のときに山上の城郭を廃して山麓に居を移した。更に明治3年に最後の城主忠寛が政庁を広瀬陣屋へと移し佐土原城を廃城とした。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線佐土原駅〜バス/佐土原小学校
 車 : 東九州道西郡IC〜国道219号線
駐車場: 鶴松館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
島津宗家を支えた島津家久・豊久父子の居城。

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