武蔵 大蔵館


お城のデータ
所在地 埼玉県比企郡嵐山町大蔵
遺 構 土塁、空堀
形 式 居館 築城者: 源 義賢 築城年代: 仁平2年


見 ど こ ろ
( 土塁上に建つ石碑 )
 大蔵館は、都幾川を挟んで菅谷館の対岸の河岸段丘上に築かれている。現在は大蔵神社の境内となっている一帯が館跡だ。神社の南と西に高い土塁が残り、土塁上に城石碑が建てられていた。

 大蔵館は、発掘調査によると東西170m×南北215mの規模がある土塁と空堀に囲まれた単郭方形の居館であったとか。


歴     史
( 神社境内から見た土塁 )
 大蔵館は、仁平2年に源義賢によって築かれた。源為義の次男義賢は、高倉天皇の帯刀先生に任じられ、兄義朝に変わり河内源氏の嫡流継承する立場にあった。父為義と兄義朝の不仲が強まると、義賢は父の命により上野多胡へと下向した。

 義賢は、秩父重隆の娘婿となり秩父氏の支援を受けて勢力を拡張して兄義朝と対抗した。しかし、久寿2年に大蔵の戦いで兄源義朝の長男悪源太義平に攻められ殺害され、以後関東の武士は源義朝に従うようになった。尚、義賢の子が木曾に逃れ成人して源(木曾)義仲となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線武蔵嵐山駅〜バス/大蔵神社前
 車 : 関越道東松山IC〜国道254号線〜県道172号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
武蔵の覇権をかけて源氏一族の争いの舞台となった館。

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