武蔵 青鳥城


お城のデータ
所在地 埼玉県東松山市石橋
遺 構 曲輪、土塁、空堀、水堀
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 主郭内北西隅の土塁 )
 青鳥城は、関越道東松山ICの西隣り位置し、松山台地南端部の台地崖を利用して築かれている。縄張りを見ると中世の豪族居館であった城が時代と共に拡張して強固な城郭へと変貌したことがよく分かる。

 縄張図を片手に城跡を歩くと更によく分かる。台地崖に面して約100m四方の方形居館形式の主郭をコの字型に二の曲輪と三の曲輪が取り囲んでいて、主郭を取り囲む土塁と空堀、二の曲輪を取り囲む土塁・空堀・水堀が残る。二の曲輪の土塁・堀には折れもあり、主郭とは構築年代の相違を証明している。

歴     史
( 主郭東側の横堀 )
 青鳥城は、築城年代や築城者については定かではない。長享元年から永正2年にかけて山内上杉顕定と扇谷上杉定正・朝良の両上杉家による関東の覇権を争う長享の乱の頃には既に存在したと考えられている。

 永禄3年に北条氏邦が鉢形城を大改修するが、青鳥城は松山城の支城となっておりこの頃に拡張改修されたと考えられている。その後、松山城主上田朝直の家臣山田直安の居城となったと伝えられている。直安は天正18年の豊臣秀吉の小田原征伐に際して松山城の城代を務め松山城に籠城している。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線東松山駅〜バス/若宮前
 車 : 関越道東松山IC〜国道254号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
戦国時代に豪族城館が時代と共に拡張されたこことが分かるお城。

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