常陸 小幡城


お城のデータ
所在地 茨城県東茨城郡茨城町小幡字城ノ内
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 平城 築城者: 大掾義幹 築城年代: 応永24年


見 ど こ ろ
 まるで迷路の様な空堀底の道を歩く。鬱蒼と生い茂る林の中に、周囲は高さ10mはあろうか、両側に高々と築かれた土塁。

 その土塁と空堀によって複雑に入りくんだ曲輪の縄張り、その曲輪には櫓や武者走りなどが設けられ、堀底道を行く敵に容赦なく矢や鉄砲を放ったのであろう。建物の遺構はないが、このような光景が目に浮かび、今にも矢が飛んで来そうな錯覚してしまう。

 小幡城は、周囲を水田(同時は湿地帯か?)に三方を囲まれた、台地上に築かれた城だ。当然、城内への敵の侵入を防ぐ縄張りだ。同時にこの城は、まるで城内に敵を引き入れて殲滅するように、縄張りされたようにも思える城なのだ。「穴蔵の城」とでも呼びたいような城だ。 

 この城を訪れて、土塁の城のすごさ、迫力のようなものを肌で感じることができる城だ。

 公園として一応は整備されているが、訪れる観光客も少なく、土塁を駆け上がり、薮の中をかき分けて遺構を見る、そんなお城めぐりファンに大満足感を惜しみなく与えてくれる。  


歴     史
 応永24年、常陸大掾詮幹の三男義幹によって築かれ、以後9代義信まで代々大掾氏が居城した。天文元年に江戸氏により攻略され、江戸氏の持ち城となった。

 天正18年、小田原の北条氏滅亡後、佐竹義宣は水戸城主江戸重通を滅ぼした時、支城の小幡城も落城して佐竹氏の持城となった。しかし、慶長7年、佐竹義宣は出羽久保田へと転封となり小幡城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線水戸〜バス/茨城東高校
 車 : 東関東道茨城空港北IC〜県道18号線
駐車場: なし(城跡入口に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
分厚い土塁と深い空堀に感動してしまう無名のお城。

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