日向 野尻城


お城のデータ
所在地 宮崎県小林市野尻町東麓字牟田原
遺 構 曲輪、空堀、井戸
形 式 山城 築城者: 伊東氏 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 伊東氏48城の一つ野尻城は、城之下川が少し湾曲するところの南岸にある丘に築かれた城だ。この川に面した北と西側が断崖となっている。

 野尻城は、本丸と二の丸の大きく2つの曲輪からなり、本丸と二の丸の間には空堀が設けられている。現在では、本丸・二の丸とも農地となっていて、本丸の畑の片隅に井戸と案内板が立てられている。 


歴     史
 野尻城は、天文年間に伊東氏によって築かれたと云われているが詳細は定かではない。永禄〜天正の頃、都於郡城主伊東義祐の家臣福永丹波守が城主であった。天正5年、福永丹波守は島津氏へ寝返り、島津勢を城内に引き入れたため、伊東氏は北へと撤退した。その後、島津氏家臣市来美作守、敷根頼豊が城主となった。

 慶長7年、庄内の乱を引き起こした伊集院忠真は、藩主島津忠恒(のちに家久)によってこの野尻にて銃殺された。その後、元和元年の一国一城令により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR吉都線小林駅〜バス/野尻〜徒歩約20分
 車 : 宮崎道高原IC〜県道29号線〜国道268号線〜道42号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
畑の中に井戸が残っているお城。
  • 野尻城の登城口
    国道265号線野尻町役場・JAの丁の字交差点を左折して県道42号線を約1kmほど南下。城之下川に架かる橋を渡りきった直ぐに右手に入る細い道へ。坂を登り400mほど西に向かうと右手に野尻城の案内板があり、ここをUターンするように進むと野尻城。

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