武蔵 山田城


お城のデータ
所在地 埼玉県比企郡滑川町下山田字城山
遺 構 曲輪、土塁、横堀、土橋
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 曲輪内の横堀と土塁 )
( 曲輪内の仕切土塁 )
 山田城は、滑川左岸に南北に連なる現在は国立森林公園となっている丘陵の先端部を利用して築かれている。公園の案内板にもちゃんと「山田城」と明記されている。森林公園内にあるため、城跡は綺麗に整備されて遺構の確認は容易なのが嬉しい。

 山田城は、丘陵先端部のピークを鉢巻き状に横堀と土塁を囲繞された単郭の縄張りと云える。ただ、かつては完全に区切られていたかどうかは分からないが、この曲輪内は四分割に仕切るように土塁が構築されて、西側には横堀さえ構築されている。

 虎口は、東中央部と北東角と二ヶ所に開かれている。東中央部は高い土塁と横堀には土橋が設けられた虎口で、北東隅の虎口は坂を登りながら折れ曲がった土橋状の通路が構築されていた。 

歴     史
( 東側の虎口と土塁 )
 山田城は、築城年代や築城者については定かではない。忍城主成田氏の家臣贄田摂津守によって築かれてたとされ、戦国時代に松山城の支城となる、天正18年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に時代には前田利家によって攻め落とされたとの伝承がある。この伝承にある贄田摂津守は山田在住で永楽80貫文(400石相当)を領している。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線森林公園駅〜バス/森林公園南口
 車 : 関越道東松山IC〜県道47号線
駐車場: 森林公園の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
森林公園内に遺構が完存しているお城。

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