美濃 金山城


お城のデータ
所在地 岐阜県可児市兼山字古城山
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 斎藤正義 築城年代: 天文5年


見 ど こ ろ
 金山城は、木曽川を見下ろす古城山山頂に築かれた城だ。金山城大手口は、古城山の西の谷筋から登るが、山頂近くの出丸跡が駐車場になっているので車でも簡単に登れる。

 出丸から遊歩道を少し登ると三の丸虎口だ。ここからS字に曲がった通路を経て、石垣で固められた枡形虎口を通り本丸と至る。

 本丸は、南東隅に天守台石垣の一部が残っている。この上に建てられていた天守が犬山城天守として移築されたとか。本丸に東南には石垣作りの穴蔵の遺構があった。

 金山城は、森可成・長可父子が近世城郭へと大修築したが、まだまだ中世城郭を色濃く残した中世から近世への過渡期の城とも云えるだろう。


歴     史
 金山城は、斎藤道三の猶子斎藤正義によって築かれた。正義は、東美濃に武威を誇ったが天文17年に久々利城主久々利頼興によって謀殺された。

 永禄8年、美濃を制した織田信長は、森可成を金山城主に封じて東美濃の旗頭とした。可成は、金山城の大修築を開始したが近江宇佐山で討死したが、跡を継いだ次男長可が金山城修築を完成させた。

 天正12年、小牧長久手の合戦で長可が討死にすると末弟忠政が家督を継いだ。慶長5年、忠政が信濃川中島へ移封され、石川光吉が城主となった。光吉は、犬山城を本拠としたため、金山城を廃して櫓などの建物を筏に組んで犬山へと運んだ。これを「金山越え」と云う。


お城へのアクセス
鉄 道: 名鉄広見線明智駅〜バス/城戸坂
 車 : 中央道多治見IC〜県道381号線
駐車場: 金山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
織田信長と共に本能寺で討たれた森蘭丸生誕のお城。

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