下野 桑窪城


お城のデータ
所在地 栃木県塩谷郡高根沢町桑窪字宿
遺 構 曲輪、土塁、空堀、土橋
形 式 丘城 築城者: 桑窪秀春 築城年代: 建久年間


見 ど こ ろ
 桑窪城は、南北に伸びる浦山丘陵の南先端部を利用して築かれている。丁度、桑窪地区にある徳明寺の背後の丘が城跡で、寺の南側から城跡まで道標が立てられている。

 桑窪城は、丘陵先端部のピークに南北約75m×東西約50mの中膨らみがある長方形をした主郭を置き、南側に丘陵先端部に向けて二の曲輪が配された縄張りとなっている。

 主郭は南と北側に虎口が開かれ、主郭の周囲に土塁と横堀が囲繞している。この遺構は、深さも幅もあり虎口の土橋の遺構など見応えがあえい、主郭東側には矢掛りの遺構を見ることができる

 二の曲輪は、現在は畑地と民家敷地となっていて、後世の改変も著しく何処までが城の遺構なのかは判別することができなかった。 


歴     史
 桑窪城は、建久年間に桑窪秀春によって築かれたと伝えられいる。桑窪城は稲毛田城の支城であったが、正平16年に宇都宮氏綱が稲毛田城主稲毛田重一を攻め滅ぼし、支城の桑窪城も廃城となった。

 戦国時代に、在地豪族谷口筑前守が桑窪城を修築して居城したと考えられている。谷口氏は、宇都宮氏に属して那須氏に対する前線拠点の一つとなっていた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線宝積寺駅〜タクシー約40分
 車 : 北関東道宇都宮上三川IC〜国道4号線〜県道64号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
主郭を囲繞する横堀や土塁など見応えのある遺構が残るお城。

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