和泉 根福寺城


お城のデータ
所在地 大阪府貝塚市秬谷
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 松浦 守 築城年代: 天文4年


見 ど こ ろ
 根福寺は、秬谷川の上流に位置し、三方を秬谷川の支流が囲むように流れている独立丘の東西二つのピークを利用して築かれている。和泉最大規模の中世城郭だが、山自体荒れていて、縄張り図片手に現在地を確認するのに苦労させられた。

 根福寺城の縄張りは、鞍部に設けられた大門を中心に馬蹄形に曲輪群が配置され、大別して東の曲輪群と西の曲輪群に分けることができる。

 東の曲輪群は、登城口から登ると最初に現れる二重堀切から始まる。大門側の斜面に、数ヶ所土止めの石積みが見られる。

 西側の曲輪群は、千畳敷と呼ばれる主郭を中心に連郭式縄張りとなっている。この千畳敷の西側斜面から南側斜面には、横堀と連結させた畝状竪堀群がある。この竪堀群は、周囲の土塁の高さといい、竪堀の深さもあり、これほどまで見事な竪堀群に今まで出会ったことがない。本当に感動した。


歴     史
 根福寺城は、天文4年に松浦守(まもる)によって築かれ、当初、野田山城と呼ばれていた。松浦守は、細川晴元・細川元常の将として名を挙げたが、晴元が三好長慶と対立するに及んで長慶方となり、根来寺勢力とも敵対することになった。

 天文12年より根来寺領となり根福寺城と改称された。天正13年の羽柴秀吉の紀州征伐により根来寺が降伏後は秀吉の支配下に入った。


お城へのアクセス
鉄 道: 水間鉄道水間駅〜バス/秋山口
 車 : 阪和道貝塚IC〜府道40号線〜市道
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
横堀と畝状竪堀のコンビネーション、感動ものだ。
  • 根福寺城への道しるべ
     阪和道貝塚ICから府道40号線を奥水間温泉・蕎原方面へ。奥水間温泉を過ぎると、府立少年自然の家、貝塚ほの字の里へと右折(バス停秋山口のある交差点/施設への案内板あり)、ほの字の里・少年自然の家の順に前を通り、丘を1つ越えたところに大川地区への入り口となる交差点だ。

     この交差点(切り通し)右手に根福寺城の案内板が建てられあり、案内板の隣にコミュニティーバスの大川バス停がある。案内板の背後の山が根福寺城だ。案内板右手から切り通しの上へと細い道を登る。ここからの道は相当荒れているが、道は判別でき、所々に目印の赤テープがある。 約15分も登れば二重堀切だ。ここから北側が城域、東の曲輪群だ。

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