伊賀 北畠具親城


お城のデータ
所在地 三重県名張市奈垣字村田
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 北畠具親 築城年代: 天正5年


見 ど こ ろ
 北畠具親城は、国津小学校(城郭体系の要図の場所から県道脇へ移転)の東側正面にある城山一帯に築かれている。ちょうど小学校前の空き地(県道沿い)に城の案内板が建てられている。

 北畠具親城は、山頂部に三方を空堀に囲繞された本丸、その北側に三方を土塁に囲まれた二の丸、本丸南側に方形の三の丸、南に連なる尾根筋を二条の堀切と曲輪が配置された連郭式の縄張りだ。規模も縄張りの巧みさもこの地域一の城と云えるだろう。


歴     史
 北畠具親城は、天正5年に北畠具親によって築かれた。天正4年に伊勢国司北畠具教は、養子信雄(織田信長の次男)に策略により謀殺された。 

 この事が、具教の弟で奈良興福寺別当東院門主であった具親に伝えられ、具親が還俗してこの地に築城した。しかし、織田勢に攻められ、北畠具親は安芸へと落ちのびた。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄大阪線名張駅〜バス/百々〜徒歩約15分
 車 : 名阪国道針IC〜国道369号線〜国道165号線〜県道693号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
雑木林のなかに名門北畠氏再興を願ったお城が残っている。

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