紀伊 岩倉城


お城のデータ
所在地 和歌山県橋本市隅田町垂井
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 隅田氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 岩倉城は、地元では「隅田城」と呼ばれていて、今も城山の山麓には隅田氏の子孫が住まれている。この隅田宅の裏山に岩倉城はある。

 岩倉城は、丘陵の先端に築かれ、規模も小さくて居館に近い城かもしれないが、城の遺構は良く残っていてる。曲輪の周囲には空堀がめぐらされ、空堀の外側には土塁が築かれている。また、曲輪の東隅には岩倉城址の石碑が建てられている。


歴     史
 隅田城の築城年代は定かではないが、鎌倉時代には築かれていたようだ。岩倉城は、近くにある霜山城などと共に隅田党の城で、この城が本城であったと云われている。

 隅田党は、隅田荘を中心に勢力のあった武士団で、鎌倉末期には、隅田通治が六波羅の武将として出陣し、その後の南北朝期には、南朝方として北朝方と戦った。

 戦国時代、隅田党は天正元年に畠山昭高が死去した後、織田信長に仕えて高野攻めにも参陣している。その後は豊臣秀吉に仕えたと云われている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR和歌山線隅田駅、南海高野線橋本駅〜南海バス/垂井中学前
 車 : 京奈和道橋本東IC〜県道104号線
駐車場: なし。(バス停付近に路上駐車しかない。)


ひとくち MEMO
小規模ながら遺構がよく残されているお城。

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