羽前 狩川城


お城のデータ
所在地 山形県東田川郡庄内町狩川
遺 構 曲輪、堀切、井戸
形 式 丘城 築城者: 斎藤俊氏 築城年代: 建武2年


見 ど こ ろ
( 公園化された主郭 )
 狩川城は、最上川が新庄盆地から出羽山地を抜けて庄内平野と流れ出る場所が狩川で、狩川市街地に向けて南から伸びる丘陵の先端部に築かれている。

 現在は楯山公園として整備されいる。この公園化によって城の遺構は結構消滅しているように思われるが、丘陵に続く主郭背後を堀切により遮断線を設け、丘陵先端部に向けて三段の曲輪とそれを取り巻くように帯曲輪が設けられた縄張りを容易に確認することは出来た。


歴     史
( 主郭背後の堀切 )
 狩川城は、建武2年に斎藤俊氏よって築かれたと伝えられている。斎藤氏は南朝方の拠点として城を築いて北朝方に備えたと云われている。

 戦国時代、天正16年に庄内地方が大宝寺氏から上杉氏に領有が移ると、天正18年に直江兼続による検地が実施された。この検地反対の一揆が起きると狩川城は一揆の拠点なっている。

 慶長6年、庄内は最上義光の所領となり、北館利長が狩川城代となった。利長は、北楯堰の開削工事を行い新田開発に尽力している。城は、元和元年の一国一城令で廃城となっている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR陸羽西線狩川駅〜徒歩約5分(登城口)
 車 : 日本海東北道酒田中央IC〜国道47号線
駐車場: 楯山公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
狩川から余目・酒田までの用水路「北楯大堰」を開削した北館利長が城代を務めたお城。

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