近江 鎌掛城


お城のデータ
所在地 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛
遺 構 曲輪、土塁、井戸、竪堀、空堀
形 式 山城 築城者: 中野清信 築城年代: 建武2年


見 ど こ ろ
 鍵掛城は、天然記念物「鎌掛の屏風岩」がある城山の山頂に主郭を置き、三方の尾根に幾段もの曲輪を配した典型的な山城だ。

 登城道は、城の北側から北砂川を渡って林道沿いから細い谷筋をテープを頼りに登る。(秋季は松茸山となっているので入山には注意を)北東尾根に展開された曲輪群に至る。

 山頂の主郭部は、南北に狭い尾根を削平して、ここには土塁と虎口を見ることが出来る。また、山頂の曲輪群は狭いが、北と北東の尾根に配置された曲輪群は結構広さもある曲輪が並んでいて、土塁などの遺構も残っていた。

 主郭群の下には直径3m程、深さ6m以上の井戸が見事に残っていた。周囲に柵もなく落ちたら大変・・・。


歴     史
 鍵掛城は、南北朝時代の建武2年に中野清信によって築かれたと伝えられている。文亀2年頃に音羽城主蒲生秀行が砦規模であった城を修築し、家臣武村重綱に守らせた。 

 永正10年に蒲生秀行が没し、家督は秀行の子秀紀が継いだ。しかし、秀行の弟高郷が蒲生家の家督を望み、近江守護六角定頼の支援を得て大永2年に叛旗を翻して、音羽城の秀紀を攻めた。 

 定頼の仲裁より和議が結ばれ、秀紀は家督を高郷の子定秀に譲り、鍵掛城へと退去した。大永5年、秀紀は高郷によって謀殺され、蒲生宗家は断絶してた。以後、蒲生氏は高郷系が宗家に成り代わっている。 


お城へのアクセス
鉄 道: 近江鉄道本線日野駅〜バス/鎌掛
 車 : 新名神甲賀土山IC〜国道1号線〜県道183号線〜県道184号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
天然記念物「鎌掛の屏風岩」がある城山に築かれたお城。

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