信濃 平瀬本城


お城のデータ
所在地 長野県松本市島内字下平瀬
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、横堀
形 式 山城 築城者: 平瀬氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 五重の堀切の一つ )
( 主郭東側尾根筋の竪堀 )
 平瀬城は、犀川と平行して連なる丘陵から川に向かって張り出した3つの尾根の先端部を利用して、本城・北城・南城が築かれている。

 平瀬本城は、真ん中の尾根先端部に築かれ、南側の沢に沿って主郭まで、途中南斜面には居館があったような曲輪群を経て遊歩道が整備されている。

 先端部の主郭は、三段に分かれていて、土塁や石積みの遺構が残っている。主郭西端の曲輪からは北アルブスの常念岳が正面に見えるビューポイントであった。

 眺望にうっとりしたあとは、この城の見どころ、主郭部背後から北の城へと通じる東の尾根筋を断ち切った大堀切、そしてこれに続くように五重の堀切が連続して尾根を遮断して防備を固めている。山城大好きな者にとって至福の光景はやっぱり連続する堀切の姿か。


歴     史
( 東尾根筋にある横堀 )
 平瀬城は、築城年代は定かではないが平瀬氏によって築かれた。平瀬氏は、犬甘城主犬甘氏の一族で、南北朝時代から信濃守護小笠原氏に従い、主家と運命を共にしている。

 天文19年、武田氏による松本平への進攻が本格化し、「イヌイの城(埴原城か?)」が落とされると、守護小笠原長時は居城林城を捨て平瀬城へと撤退、その後村上氏を頼って葛尾城へと逃れた。

 天文20年、長時は平瀬城を一時回復するが、再び武田氏に攻められ落城し、城主平瀬義兼は自刃した。城は、武田氏の重臣原虎胤が守将となったが、天文22年に武田氏の筑摩郡平定と共に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR篠ノ井線田沢駅〜徒歩約20分(登り口
 車 : 長野道豊科IC〜県道57号線〜国道19号線
駐車場: 19号線沿いのパーキングエリアを利用。(登り口に1台程度駐車可)


ひとくち MEMO
守護小笠原長時に最後まで忠誠を誓った平瀬氏の居城。

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