越後 二田城


お城のデータ
所在地 新潟県柏崎市西山町二田
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 二田城は、長岡と柏崎・西山との境に南北に伸びる東頚城丘陵地蔵峠北のピークに築かれている。現在、西山林道により城跡が分断されているが、主郭部が公園化されている。

 城の縄張りは、南北に伸びる尾根筋先端部にある物見山砦から馬場曲輪まで細尾根を7条もの堀切で区切り、馬場曲輪北側の高い切岸上にある曲輪を経て本丸へ。本丸から東に伸びる尾根筋と本丸西側の堀切を経て北側の尾根筋にも堀切と曲輪があるが、ブッシュと雑木に覆われとても入れる状態ではなかった。 


歴     史
 二田城は、築城年代や築城者は定かではないが、伝承によれば越後二宮二田物部神社の神官社家が詰めの城として築いて、後に上杉氏の家臣元井玄蕃頭・須田長義・梅津半左衛門が城を守ったと伝えられている。梅津半左衛門は、天正6年の御館の乱で景虎方に与して景勝方との戦いで討ち死にしている。

 慶長5年、上杉遺臣の扇動で堀秀治の治政に対する農民一揆「上杉遺民一揆」に物部神社の神官三島是政も加勢して、上条城を攻略し、赤田城・二田城に籠城して堀氏と対峙したが、堀直政の軍略により一揆軍は全滅し鎮圧され、是政は会津へ逃れた。この一揆の後に二田城は廃城となったとされている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR越後線礼拝駅〜バス/温泉前〜徒歩約120分
 車 : 北陸道西山IC〜県道23号線〜林道
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
三島丘陵の尾根に堀切と曲輪を並べた堅固なお城。

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