備前 徳倉城


お城のデータ
所在地 岡山県岡山市東区御津河内
遺 構 曲輪、石垣、土塁、井戸、堀切
形 式 山城 築城者: 松田元隆 築城年代: 文明年間


見 ど こ ろ
 「城攻めの本道は大手道。道は何はなくとも大手道。」と意気込んで県道沿いにある案内板裏から登城開始。大手道は、途中所々で道を見失ってしまいそうに成りながら登る道だが、途中の曲輪群の遺構を見ながら登ることが出来る。

 ともかく山の上を目指して上へ上へと登れば、下の出丸を経て支尾根頂上にある「長曲輪」と呼ばれる数段に分かれた出丸へ。ここから大手道は急な登り坂となって大手曲輪群へと進む。

 この大手曲輪と谷を挟んで3段にわかれた曲輪群が配置され、谷筋を登る寄せ手に備えている。この2つの曲輪群の要の位置に本丸があり、現在小さな妙見宮の祠が祀られていてる。

 本丸東側は、高さ約3m程の石垣が築かれていて、喘ぎながら登った体の疲れは、この石垣群を見ただけで一瞬にして吹き飛んでしまう。

 更に本丸南側の石塁も良く残っていて、鞍部に面した本丸南側の防備をこの石塁でより堅固にしているのだ。登城道、そして本丸石垣群、なかなか見応えのあるお薦めの一城だ。 


歴     史
 徳倉城の築城年代は諸説があり定かではないが、文明年間に金川城主松田元隆が、金川城の支城として整備したものと考えられ、松田氏の重臣宇垣氏が代々城主であった。

 永禄11年、宇喜多直家(岡山城主)が松田氏を滅ぼすと、直家の家臣遠藤河内守が城主となった。慶長5年、関ヶ原の役で宇喜多秀家は、西軍に与したため改易となり、備前国は小早川秀秋の領国となり、この頃に徳倉城は廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR津山線金川駅〜バス/原三谷
 車 : 山陽道岡山IC〜国道53号線〜県道61号線
駐車場: なし。(県道沿いの徳倉城案内板前に駐車スペースあり。)


ひとくち MEMO
縄張り図とコンパス、それからトレッキングシューズで足下を固めて登城しよう。 
  • 徳倉城の登城口
    徳倉城の登城道は3ルートあって、県道沿いの案内板裏から登るルートと徳蔵神社から登るルートは、下の出丸で合流する。搦手道は徳倉神社から更に南側の谷筋を鞍部へ向けて登る。搦手道は、非常に良く整備された遊歩道だ。

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