伊勢 阿坂城


お城のデータ
所在地 三重県松阪市大阿坂町桝形
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 北畠満雅 築城年代: 応永年間


見 ど こ ろ
 阿坂城は、北畠満雅が籠城した時、水の手を断たれ苦肉の策として白米を馬に水のようにかけて敵を欺いて撃退した故事より白米城と呼ばれている。

 阿坂城は、堀坂山系北端の尾根筋に築かれ、椎の木城(北の曲輪)と白米城(南の曲輪)からなっている。北の曲輪が阿坂城の主郭部で、土塁と堀切によって区分された二つの曲輪と附属する帯曲輪が配置された縄張りとなっている。

 南の曲輪は、台地状の曲輪と東側に堀切に隔てられた曲輪がある。南の曲輪からは、伊勢平野が一望できることから物見的な要素が強い曲輪と云えるだろう。


歴     史
 阿坂城は、応永年間に北畠満雅によって築かれた。応永22年に満雅は、阿坂城に籠城して北朝方を迎え撃っている。

 北畠氏は、北畠顕家の三男が顕能が建武2年に伊勢国司となり多気城を居城として南伊勢五郡・大和宇陀郡に勢力を誇っていた。 

 永禄12年、織田信長が伊勢に侵攻して、大河内城の北畠具教を攻めた時、阿坂城には北畠氏の家臣大宮入道含忍斎が籠城したが、木下藤吉郎らに攻められ落城し、城はその後廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR紀勢本線松阪駅、近鉄山田線松阪駅〜バス/大阿坂
 車 : 伊勢道松阪IC〜県道59号線
駐車場: 願浄寺の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
白米を馬に水のようにかけて敵を欺いて撃退した故事があるお城。

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