丹波 余部城


お城のデータ
所在地 京都府亀岡市余部町古城
遺 構 曲輪
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 余部城は、別名丸岡城とも呼ばれ曽我谷川と桂川(保津川)の合流点に向けて半島状に突き出した台地先端部を利用して築かれている。現在の西岸寺境内から西側の住宅地一帯が城跡だ。

 城の縄張りは、西岸寺付近が本丸で西側の住宅地一帯が二の丸となっていて、本丸と二の丸の間に空堀が設けられ、更に二の丸西側に堀切を設けて背後の台地と分離していた。ただ、宅地化により城の遺構は殆ど消滅してまった。


歴     史
 余部城は、築城年代や築城者については定かでないが、応仁文明の乱の頃には野田泰忠が在城し東軍の拠点となっていた。天文年間には中沢正綱が居城していた。天正6年明智光秀が丹波へと兵を進めると、八上城主波多野氏に属していた城主福井貞政は、光秀に降らず余部城を攻められ自刃した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線亀岡駅〜バス/河原町南
 車 : 京都縦貫道亀岡IC〜国道372号線〜
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
曽我谷川左岸の洪積台地端を利用して築かれたお城。

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